日本のジュエリー史:比類なき歩み

最終更新: 2026-07-04

japan jewelry history

日本の身体装飾は、時代ごとの価値観や暮らしの変化にあわせて、姿を変えながら受け継がれてきました。古代エジプトやローマのように、ジュエリー文化が同じ系譜のまま積み重なっていった地域と比べると、日本では盛んになる時期と、表舞台から遠ざかる時期の差が大きいのが特徴です。約1万4,000年前に縄文の耳飾り文化が花開き、その後は長い空白を挟み、近世には実用品の装いとして技巧が磨かれ、近代以降は西洋との接触の中でジュエリーの位置づけが大きく変わっていく——この流れを押さえると、全体像がぐっと見えやすくなります。

今回は、日本で見つかった最古級の土製イヤリングから、いまのピアススタジオまで。ざっと全体の流れをたどってみます。

はじまり:縄文時代

およそ紀元前1万4,000年〜300年頃に日本列島で暮らしていた最古級の人びとである縄文人は、身体装飾の文化をしっかり持っていました。発掘調査では、円筒状の栓のような耳飾りや、C字型の玦状(けつじょう)耳飾り、糸巻きのような形の耳飾りなど、土や石の耳飾りが各地の縄文遺跡から数多く見つかっています。いずれも、耳たぶを広げたピアスホールがないと身につけられないタイプです。

Earrings with a slit
Clay earrings of Jomon period Kyushu National Museum J360

しかも、単なるおしゃれで終わるものではなかったようです。耳たぶを広げる習慣は子どもの頃に始まり、成長とともに少しずつ続けられていったと考えられています。残っている耳飾りの素材や形、摩耗の跡を見ても、耳の装飾が暮らしの中で大切にされていたことがうかがえます。

長い空白:平安〜室町

その後に続く変化は、日本のジュエリー史の中でも印象的です。平安時代(794〜1185年)には、宮廷貴族の世界から耳飾りがほとんど姿を消していきます。宮廷でのステータスは、重ね着の絹、香、季節感のある花のしつらえなどで表され、身体装飾は中心的な要素ではありませんでした。

Murasaki Shikibu junihitoe

鎌倉〜室町の時代にかけても、武家の美意識に加えて、慎みを重んじる仏教的な価値観が広がったこともあり、華美な装いは次第に控えられるようになります。その結果、西洋的な意味での個人ジュエリーは、約1,000年近く日本文化の表舞台から離れていきます。

江戸の工夫

江戸時代(1603〜1868年)は、ジュエリーが自由になった時代というより、別の形で楽しむ方向に工夫が進んだ時代でした。装身具の着用が制限され、また社会的にも装飾を控えることが求められたため、職人はその巧みな技術を実用品へ注ぎ込むようになります。たとえば、先端に耳かきが付いたかんざし、巾着を留める根付、漆塗りの印籠(いんろう)などです。

Yoshitoshi Looking relaxed the appearance of a Kyoto geisha of the Kansei era

どれも用途がはっきりしているからこそ存在が許され、そのうえで驚くほど凝った装飾が施されていました。芸者や花魁(おいらん)が、華やかな髪飾りを、その世界での地位のしるしとして堂々と身につけたのも、この流れの中にあります。

明治の変化

1868年以降、状況は一気に変わります。明治維新で日本は驚くほど速いスピードで西洋の影響を受け、西洋式の装いとともに、リングやネックレス、ブローチといったジュエリーへの需要がほぼ一夜にして広まりました。

帯刀禁止によって仕事を失った刀装具の職人たちも、新しい市場に合わせて金工へ技術を向けていきます。そうして一世代ほどのうちに、日本は近代的なジュエリー産業を形づくり、やがて御木本幸吉が養殖真珠の研究を始め、世界のファインジュエリーにおける日本の名前が定着していきました。

Musee Guimet MNAAG Expo Meiji Cabinet Kodansu Detail Khalili collection 13012019 0298

このシリーズについて

この記事のあとには、さらに4本の記事が続きます。来週は縄文時代のピアス文化をもう少し深掘りし、その次の週は平安から江戸までの長い流れを追います。続いて明治から現代までの変化、最後は日本のジュエリー史を語る上で欠かせない、とても印象的な発掘をきっかけに、群馬県にある世界で唯一の耳飾りに特化した博物館を特集します。

MAYのこだわり

MAYは日本の会社です。ここで紹介した歴史は、私たちにとって遠い昔話というより、現代の日本のピアス市場が育ってきた背景であり、ものづくりの精度を大切にする文化の土台でもあります。

縄文の土製耳飾りから、インプラントグレードのチタン、手磨きのガラスへ。道のりは長いですが、身体にふさわしいものをつくろうとする感覚は、形を変えながら続いてきました。MAYでは、その姿勢が感じられるメーカーのものを選び、取り揃えています。


来週は、縄文時代をもう少し詳しく。縄文人とはどんな人びとで、何をピアスし、そして彼らが残した耳飾りがなぜ世界的に見ても技術的に面白いのかを見ていきます。