日本のジュエリー:明治時代から現代まで
最終更新: 2026-07-29

一世代で、ジュエリー文化が築き直された時代を辿る
1868年、明治維新で200年以上続いた鎖国が終わります。日本が一気に西洋へと向かい始めた、大きな転換点でした。その波は、人々の装いにもすぐに、そして大きく押し寄せます。
指輪もネックレスも、西洋式のイヤリングも。もともと身につける習慣がなかった国が、たった一世代のうちに、ジュエリーを商う産業を立ち上げ、真珠では世界にその名を知られ、いまに続くピアス文化の土台までつくり上げていきました。しかもこれは、自然に進んだ流れではありません。意図してつくられた変化でした。

Utagawa Yoshitora, Public domain, via Wikimedia Commons
廃刀令が生んだ宝飾職人
明治政府が早くに打ち出した政策のひとつが、1876年の廃刀令です。刀を差す文化が終われば、刀を飾る仕事も消えます。柄(つか)や鍔(つば)、鞘(さや)の金具、いわゆる装剣金具(そうけんかなぐ)を何代にもわたって手がけてきた職人たちは、ある日を境に、いちばん大きな仕事先を失ってしまいました。
彼らが選んだのは、これまでの腕を別の場所で活かす道でした。この方向転換が、のちの日本のファインジュエリーの土台になります。金や銀、赤銅(しゃくどう。銅と金を混ぜて黒く発色させた合金)を組み合わせる象嵌(ぞうがん)の技術も、表面の仕上げに一切妥協しない姿勢も、そっくりそのまま新しいものづくりへ持ち込まれました。その手から、西洋式の金属ボタンや懐中時計のチェーン、そしてやがて、日本らしいデザインをまとった指輪やブローチが生まれていきます。


1880年代に日本を訪れた西洋の商人たちは、こうした品を見たことがありませんでした。合金づくりと象嵌がここまで一体になった技術は、彼らの目に新鮮に映ります。やがて輸出が広がるにつれ、日本は装飾金工の世界で確かな評価を築いていきました。
ミキモトと真珠
御木本幸吉(みきもとこうきち)が初めて養殖真珠に成功したのは、1893年のことでした。20世紀に入るころには、三重県の養殖事業は、世界の市場を塗り替えるほどの規模で真珠を生み出していました。

それまで、上質な真珠は世界でもっとも希少で高価なもののひとつでした。それを、品質はそのままに、手の届くものへと変えたのが、御木本の養殖でした。
20世紀の大半を通じて、日本は世界一の真珠の産地であり続けました。その原点にあるのは、技術と商いを育てた明治の開国です。

西洋ジュエリーの伝来と日本らしい変化
西洋式ジュエリーへの関心は、洋装が広まるにつれて高まっていきます。政府が公式の場や正装に洋装をすすめたことも、大きな後押しになりました。
なかでも一気に広まったのが、指輪です。20世紀初頭には東京や大阪の百貨店が中流層に向けて売り出しはじめ、市場は大正から昭和のはじめにかけて勢いを増していきました。

といっても、日本の職人たちは西洋のデザインをそっくり真似ただけではありません。指輪やブローチという西洋の形に、日本らしい表面仕上げや、鶴、桜、波といった自然のモチーフを重ねていきます。そうして、和と洋が融合した独自の美意識が生まれました。このスタイルは、欧米ではジャポニスムの流行を後押しし、国内では日本ならではの個性を育んでいきました。
現代のピアス文化
いまにつながる日本のボディピアス文化が広がったのは、1980年代から1990年代にかけてのことです。ひとつは、欧米のパンクやオルタナティブなファッションの影響から。もうひとつは、原宿のような街から生まれた、日本ならではのファッションの流れから。このふたつが重なって、独自のピアス文化が形づくられていきました。
いまの日本のピアスシーンは、かなり成熟しています。日本プロフェッショナルピアッサーズ協会(JPPA)に加盟するスタジオは少しずつ増え、インプラントグレードの素材を選ぶ人も多くなりました。どこにどう入れるか、どんなジュエリーを合わせるか。その一つひとつをていねいに選ぶ美意識が、しっかり根づいています。

インプラントグレードのチタン、ソリッドゴールド、ハイポリッシュガラス。こうした上質なボディジュエリーの市場も、ピアス文化の発展と共に着実に広まっていきました。
MAYのこだわり
MAYは日本の会社として、はっきりとした考えを持ってこの世界に加わりました。ジュエリーの質は、ピアッシングの質と同じくらい大切。そのどちらにも、同じだけの心づかいがあっていい。そう考えています。
縄文時代の土でできた耳飾りから、明治の金工、そしていまのインプラントグレードのチタン(ASTM F136)やスチール(ASTM F138)へ。こうして並べてみると、その道のりは思っている以上に長いのです。それでも変わらないものが、ひとつだけあります。身体に入れるものは、それを真剣に考える作り手の手から生まれるべきだ、という思いです。
MAYが実績のあるメーカーとだけ組むのも、同じ理由です。その作り手たちのものづくりが、わたしたちと同じ考えの上に立っているからです。
次回は「日本のジュエリー」シリーズの最終回。世界でただひとつ、耳飾りだけをテーマにした博物館を訪ねます。そのはじまりには、日本の歴史でも思いがけない、考古学の発見がありました。

