日本のジュエリー:榛東村耳飾り館
最終更新: 2026-08-06

1万4000年分の耳飾りが、ひとつ屋根の下に
1989年、群馬県榛東村で進んでいたのは、農地の圃場整備というごく普通の事業でした。それが、思わぬ方向に動き出します。工事に先立つ発掘調査で茅野遺跡を掘り進めると、縄文時代後期後半から晩期前半を中心とする集落跡が現れました。土器や石器にまじって出てきたのが、577点にもおよぶ土製の耳飾りです。のちに国の重要文化財に指定された出土品1,950点のうち、およそ3割が耳飾りでした。ひとつの遺跡からこれだけの数が出るのは異例です。この思いがけない出土品をどう扱うか。その答えが、1992年にオープンした榛東村耳飾り館(しんとうむらみみかざりかん)。世界ではじめての耳飾り専門の博物館でした。

茅野遺跡での発見
茅野遺跡の発掘調査は、1989年から1990年にかけて行われました。縄文時代後期後半から晩期前半にかけて営まれた集落の跡で、いまからおよそ2,500〜3,000年前にあたります。出土した耳飾りはすべて土製で、この時代らしい臼形のものが多く、赤や黒に彩色されたものも見られます。出土品は1992年に1,950点が一括して国の重要文化財に指定され、2000年にはその一部が、ロンドンの大英博物館で開かれた日本の神道を取り上げた展覧会に出品されました。縄文の耳飾りが人目に触れる場としては、なかなか想像しにくい舞台です。
耳飾り館という場所
榛東村耳飾り館は、JR渋川駅から車でおよそ20分のところにあります。観覧料は一般200円、中学生以下は無料。常設展示室は縄文・歴史・現代の3つのコーナーで構成されています。
縄文コーナーの中心にあるのは、茅野遺跡の出土品です。重要文化財の耳飾りを、遺跡と縄文集落を再現した映像やジオラマとあわせて紹介しています。土偶や石器、岩版など同じ時代の遺物も並び、耳飾りがそれだけで存在していたのではなく、人びとの暮らしのなかにあったものだと実感できます。
歴史コーナーでは、世界各地から集めた収蔵品をもとに、古代エジプトやローマからアジア・太平洋地域まで、文化と時代をまたぐ耳飾りの流れをたどります。
現代コーナーに並ぶのは、世界各国から集められた歴史的・民族的な耳飾りと、現代の耳飾りです。耳飾りマップやワールド・イヤリングライブラリーもあり、金や銀、七宝焼、ガラス、木、植物の種など、素材もさまざまです。並んだ数々からは、耳を飾りたいという気持ちが、地域や時代を越えてどれほど変わらず続いてきたかが伝わってきます。そして、体を装飾する素材には、文化ごとにこれほどのバリエーションがあることに気づかされます。
一見の価値あり
耳飾り館では、年に数回「しんとう・ふるさと歴史講座」を開いているほか、季節ごとの企画展や、まがたまづくりをはじめとする装飾品にまつわる体験学習も行っています。国の史跡に指定された茅野遺跡も同じ村内にあり、住居跡や水辺の作業場などをガイドマップでたどれます。日本の考古学でも指折りの発見を核にした本格的な展示を、気軽に立ち寄れる観覧料で見られます。しかも場所は、日本人にとっても穴場といえる群馬の静かな一角です。この組み合わせは、そうそうありません。
1年の締めくくりに
この記事で、ジュエリーをめぐる12か月の連載がひと区切りを迎えます。素材、形、サイズ、お手入れ、宝石、4つの古代文明に伝わる装いの歴史、そして日本と身体装飾の関わり。その締めくくりの場所として、群馬の耳飾り館ほどふさわしいところはありません。世界のどこで記録されたピアスの伝統にも劣らないほど古い縄文の土製耳飾りと、世界各地から集められた耳飾りが、ひとつの建物に並んでいます。そしてその建物は、この歴史は残す価値があると地域の人たちが考えたからこそ、いまここにあります。
MAYのこだわり
耳飾り館があるのは、3,000年前の土製の耳飾りにも守る価値があると、人びとが考えたからです。この装いがどこから来たのかを知ることには、意味があります。MAYが、いま人の体に入るジュエリーについて考えていることも同じです。何からできているのか、誰が作ったのか、どう仕上げられているのか。どれも蔑ろにはできない、むしろ一番大事なことだと考えています。扱うテーマが変わっても、ここだけは変わりません。
来月から、新しい1年の連載が始まります。テーマを新たにして、また身につけるものの話を続けていきます。

